1: :2017/05/20(土) 06:20:39.87 ID:
今年は国産アニメ100年の節目の年! 忘れられた巨人、人形アニメーションの祖、持永只仁を知っているか

1917年に国産アニメーションが初めて製作、公開されてから100年。今年はさまざまな場でアニメ100周年を記念する企画が予定されているが、東京・京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターでは、
展覧会「人形アニメーション作家 持永只仁」が始まった。でも持永只仁(もちなが・ただひと)って、そもそもどういう人? 実は日本だけでなく、世界のアニメーションに多大な影響を与えた人物だった。

日本で修業し、終戦直前に満州へ

 「今、日本のアニメーションは世界に知られているが、その初期において貴重な作家がいたものの、なかなか正当な評価を得ているとは言い難い。持永只仁も重要な仕事を残しているのに、まだまだ知られるべき余地がある。
忘れられた巨人という言い方ができると思います」と、今回の展覧会を企画したフィルムセンター主任研究員の岡田秀則さんは説明する。

 1919年に東京で生まれ、佐賀や旧満州の長春で育った持永は、39年に映画製作会社の芸術映画社に入社。「桃太郎の海鷲」などで知られるアニメーション作家、瀬尾光世(せお・みつよ)(1911~2010年)のもとで日本初の多層式撮影台の開発に携わるなど修業を重ね、45年春に満州に渡る。

 満州映画協会で働くものの、間もなく終戦。その後は撮影台を抱えながら内戦の中国を転々とし、最後は上海でアニメスタジオ「上海美術電影」の設立に尽力した。後進の指導にも熱心で、後に中国アニメ界を牽引(けんいん)する多くの人材を育てている。

 53年に帰国すると、人形アニメーションに特化した人形映画製作所を設立。
日本初の人形アニメ映画「瓜子姫とあまのじゃく」(56年)を手始めに、「五匹の子猿たち」(56年)、「ちびくろ・さんぼのとらたいじ」(56年)、「ふしぎな太鼓」(57年)といった短編作品のほか、アサヒビールの「ほろにが君と三ツ矢嬢」などCMもたくさん手がけた。

12分の1秒分のアクションを計算

 「人形映画製作所は、58年の段階でたった8人のスタッフで作っており、非常に忍耐のいる仕事だった。多くの労力と時間を必要とし、長い作品を作るのは極めて難しかったといえる」と話す岡田さんによると、
人形アニメーションの製作は、人間や動物の動きをじっくりと観察して分析した上で、12分の1秒単位で人形の動きを考えなくてはならないという。

 「映画は1秒24コマで成り立っているが、同じ絵が2コマあるので、1秒で12の動きが撮れる。つまり12分の1秒分のアクションを計算した上で、それを分解して考える能力が必要になる。特に難しいことの1つに水を注ぐ、水を飲む、という動きがあった。
本当の水を使うとこぼれやすいので、とろみのある液体を使い、12分の1秒後の減り具合を考えて、注射器で吸い取って撮っていったそうです」と岡田さん。

 その後はアメリカ作品の下請けの仕事もこなし、代表作の「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」(64年)は今も根強い人気を誇る。
「怪物の狂宴」(67年)は、少年時代のティム・バートン監督(58)に強い衝撃を与え、製作・原案を手がけた人形アニメ映画「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」(ヘンリー・セリック監督、93年)につながっていった。

人間に対する優しさがにじみ出る

 持永は晩年も中国で若いアニメーターに指導するなど日中交流に力を注ぎ、99年に80歳でこの世を去る。

 今回の展覧会は、持永の製作日誌や写真パネル、台本など約350点で構成されているが、中でも注目すべきものは、実際に人形アニメーションで使用された人形たちだ。120点ほどあり、持永の遺族が大切に保管していたものを、現役の人形アニメーターが生き生きとした動きをつけて設置した。

 「人形はすべて整理してスタジオに置いている。湿気がダメなので、1つ1つ包んで、しょうのうを入れて保存しています」と話すのは、持永の長女の持永伯子(のりこ)さん(74)だ。
戦時中に持永が満州に渡ったとき、3歳だった伯子さんは、父親が日本人、中国人だけでなく、朝鮮人やロシア人も含めて誰に対しても分け隔てなく平等に接していた姿が印象に残っている。

続きはソースで
http://www.sankei.com/premium/news/170520/prm1705200002-n1.html
4:2017/05/20(土) 08:17:10.73 ID:
タイバニに組織票組む腐女子や、ラブライブに多重投票するキモオタが、
100年前の国産アニメの創始者に対する敬意の念など、もっているはずもない
5:2017/05/20(土) 08:24:58.09 ID:
アニメーション(英語: animation)は、動画(どうが)とも呼ばれ、コマ撮りなどによって、複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。
7:2017/05/20(土) 08:51:12.18 ID:
岡本忠成や川本喜八郎の人形劇NHKでやってたけど怖さと美しさとでめっちゃ記憶に残ってるわ
よくわからんけど昔のテレビ番組って子供向けが半端なく風情あった気がする
8:2017/05/20(土) 09:43:34.33 ID:
>>7
昔は大人向けと子供向けに壁があって、子供向けは子供向けの枠内で大人向けに出来ない事やったり、子供向けの形に押し込んだりした、それが後から見て色々感じる所になるんだと思う。
今は壁が無くなって、豪華な予算で作った子供向けか本当の子供騙しか、そんなのばかりな気がする。
9:2017/05/20(土) 09:57:01.99 ID:
人形劇って言うとドリフの西遊記のイメージしかないな
10:2017/05/20(土) 10:28:37.22 ID:
ストップモーションは人形劇とは言わないだろ